男がかっこいいほうがいいとかそんな考えもう古い

不幸でいることはとても楽だった。目を閉じればどこにだって行けたし、誰にだって逢えたのに。いまはそれも出来なくなった。

昨日の明け方、裸で爆笑しながらかわいい女の子が寝室に入ってきた。わたしも思いっきり笑うしかなかった。こんなにルール無視なことってある?なのに全然嫌いになれないことがうれしいしほんとなんなんだ。毛嫌いしてた神聖かまってちゃんが流れたタワレコ、友達に最大級の問題をカミングアウトしたらわたしも。と呆気なく言い放ったときの顔、ナシがアリになる瞬間はいつだって気持ちいい。どでかい魔法がひとつ。ギリギリのとこで人が生きてるの見れると、既存の美しいとか、汚いとか、そんなイメージはどこかに飛んでいって感動してしまう。一生忘れない美しい記憶になった。

あらゆる鏡を割ってまわった日、その破片が刺さったこと、ダウンタイム中の電話、マッチングアプリ、もうあきらめてる精神科、体重を減らす薬、急に出てくる涙、泣き顔の自撮り、自分を見捨てた夜自分を見捨てた夜自分を見捨てた夜自分を見捨てた夜 それら全てを無かったことにしたいのに出来なくなったこと。愛がそんなにいいものじゃないように、幸せも最近怪しい気がする。でもそもそも傷ついたことにより心が動くならその動きこそがわたしにとっては喜びだしいい、より本質に近い。

どこにでも行けるけどきみがすき!みたいな感覚を大切にしてたから、同じ人や同じ風景をループする自分が不自由で理想とする女の子じゃなくなってしまったなあ、と思ってたけど、その人の隣その人といるときのわたしは今までのどんな時間より自由にすごしてたそういえば、から、納得したし今、これもまあいっか。